丸岡教会・緑幼稚園
創立100周年記念
100年前、カナダの宣教師たちをとおして、
神さまがこの丸岡の地に一粒の種を蒔かれました。
その種は芽を出してしっかりと根を下ろし、
大きく枝をのばして、豊かに実を結びました。
丸岡教会も、緑幼稚園も、その実の一つとして、
100年間イエス・キリストの福音のともしびをかかげて歩んでいます。
そして今日から、私たちは次の100年に向かって新しい一歩を踏み出します。
100年前、カナダの宣教師たちをとおして、
神さまがこの丸岡の地に一粒の種を蒔かれました。
その種は芽を出してしっかりと根を下ろし、
大きく枝をのばして、豊かに実を結びました。
丸岡教会も、緑幼稚園も、その実の一つとして、
100年間イエス・キリストの福音のともしびをかかげて歩んでいます。
そして今日から、私たちは次の100年に向かって新しい一歩を踏み出します。
100年前、カナダの宣教師たちをとおして、神さまがこの丸岡の地に蒔いてくださった一つの種が、芽を出してしっかりと根を下ろし、大きく枝をのばし、豊かに実を結んでゆく。丸岡教会も、緑幼稚園も、その実の一つとして、この100年、イエス・キリストの福音のともしびをかかげて歩んできたことをあらわしています。そしてそれは、次の100年へとつながっていきます。
丸岡町とキリスト教の関わりは、1695年5月、九州延岡藩主・有馬清純が、農民一揆の責任を負い、丸岡に転封した時からと伝えられる。有馬家は元来、長崎地方の領主であって、1594年に日本に初めてキリスト教を伝えたポルトガルの宣教師、フランシスコ・ザビエルからの教えを受け入れた切支丹大名の一人であった。当時、日本の政権を握っていた織田信長はキリスト教に寛大な姿勢をとっていたが、豊臣秀吉になって禁教令が出されると、切支丹大名らは真っ先に仏教に改宗させられた。しかし、熱心なキリスト教徒たちは、その信仰により、毎日、密かに礼拝を守り続けた。丸岡町にある「切支丹灯籠」もその証の一つであろう。
時を経て、丸岡町に直接キリスト教が伝えられたのは、1890年代になってからのことである。
丸岡教会歴代牧師 | |
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初代宣教師 | HOLMES, Chrles Parsons |
第2代牧師 | 水野琢成 |
第3代牧師 | 林清光 |
第4代牧師 | 坂本清 |
第5代牧師 | 赤木峰吾 |
第6代伝道師 | 真木かぢを |
第7代伝道師 | 南よし |
第8代牧師 | 谷田部泰(兼牧) |
第9代伝道師 | 真野栄 |
第10代牧師 | 大巻三郎 |
第11代牧師 | 谷田部泰 |
第12代牧師 | 佐藤菊雄(代務) |
第13代牧師 | 疋田国磨呂(兼牧) |
第14代牧師 | 高見伊三男 |
第15代牧師 | 山田瑛 |
第16代牧師 | 山田喬夫(代務) |
第17代牧師 | 上垣勝(代務) |
第18代牧師 | 吉川勇 |
第19代牧師 | 上垣勝(代務) |
第20代牧師 | 中島信義 |
第21代牧師 | 太田光夫 |
第22代牧師 | 佐藤徹 |
緑幼稚園歴代園長 | |
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初代園長 | HOLMES, Annie |
第2代園長 | STAPLES, Marie Melissa |
第3代園長 | KILLAM,Ada |
第4代園長 (スーパーバイザー) | RORKE, Mary Luella |
第5代園長 | RYAN,Esther Letitia Maria |
第6代園長 | 谷田部泰 |
第7代園長 (代行) | 酒井むつ子 |
第8代園長 | 疋田国磨呂 |
第9代園長 | 谷口繁一 |
第10代園長 | 山田瑛 |
第11代園長 | 谷口繁一 |
第12代園長 | 吉川勇 |
第13代園長 | 谷口繁一 |
第14代園長 | 中島信義 |
第15代園長 | 太田光夫 |
第16代園長 | 佐藤徹 |
緑幼稚園歴代宣教師 | |
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初代宣教師 | HOLMES, Chrles Parsons |
第2代宣教師 | GILLESPIE,Jean |
第3代宣教師 | SCOTT,Mary Cordelia |
学校法人丸岡栄光学園歴代理事長 | |
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初代理事長 | 疋田国磨呂 |
第2代理事長 | 谷口繁一 |
第3代理事長 | 中島信義 |
第4代理事長 | 太田光夫 |
第5代理事長 | 佐藤徹 |
創立者HOLMES, Chrles Parsons (1875~1938)
丸岡教会創立者・初代宣教師
緑幼稚園創立者・初代宣教師
1875年、カナダ・オンタリオ州オックスフォードに生まれる。カナダ・メソジスト教会宣教師として、1906年に来日。以後、東京・静岡・浜松・福井にて伝道、1937年に帰国。1938年、オンタリオ州トロントにて召天。妻はAnnie(のちの緑幼稚園初代園長)、子どもはルース・エレン、チャールズ、ジョンの3人。ホームス宣教師は、「もし日本において最も伝道の困難な北陸、特に福井県においてキリスト教伝道が成功するならば、その時に日本伝道が成功したと言えるだろう」と、しばしば若い伝道者やクリスチャンを励ましていた。困難な時代に、誰からの支えもなく、理解されない中で、いつも凛として、至るところで伝道していた。
(引用・参考『来日メソジスト宣教師事典』、『風雪の日溜り―北陸のキリスト教』)
丸岡町の夜6時と9時を告げる「ペチカ」をはじめ、25歳の生涯で260曲もの作品を残した丸岡町出身の作曲家、今川節(1908~1934)。幼少期より丸岡教会に通い、教会のオルガンに触れたことが、音楽を志すきっかけとなりました。丸岡教会で洗礼を受けた彼は、その後、教会学校にて奉仕し、とりわけクリスマスになると子どもたちを集め、合唱やキリストの聖誕劇を指導しました。
カナダの婦人宣教師が、彼の召天する二ヶ月前に訪ねて愛唱聖句を尋ねると、「私は全部が好きですが、ずっと病気をしておりますからマタイ伝六章の後の方が非常に慰めです。」と答え、聖書を開いて読み、神様への信頼と感謝の気持ちで、一日一日を、心をこめて過ごしていることを証しました。
緑幼稚園の子どもたちは、今川節の作曲した「ペチカ」や「苗代太鼓」、「てふてふ」「おいのり」「花の日」などを日頃から歌い、親しんでいます。